七夕の日の奇跡!~二十四節気“小暑”に入りました。
本日7月7日より二十四節気“小暑(しょうしょ)”に入りました。
暑さが本格的になる頃です。太陽の黄経(黄道の一点と春分点とがつくる角度)は 105度。
そして、本日は七夕です。
皆さまは、今年短冊にどんな願いを書かれましたか。
七夕の由来は諸説ありますが、「乞巧奠(きこうでん/中国の手芸や裁縫の上達を願う行事)」が、日本の七夕の由来のひとつだったと言われています。
奈良時代に中国から乞巧奠が伝わったとき、裁縫や手芸の上達を願ったことから糸が供えられていました。
しかし、七夕行事が宮中から庶民へと広がり始めると、高価だった糸を備えることは難しく、代わりに紙を切って備えていたのが短冊の始まりなのだとか。その後、江戸時代には“短冊に願いを書くと叶う”と言われるようになったそうです。
我が家では、毎年笹竹を立て、短冊に和歌を書いて飾ります。今年は「短冊に何を書こうかしら…」と思っていたとき、ふと昔の記憶が蘇りました。
まだ小学校に上がる前の7月7日。
当時通っていた習い事から帰るとき、初めて一人でバスに乗ることになりました。私にとっては人生初のドキドキする冒険です。
手には、母が持たせてくれた子ども料金ちょうどの小銭を握りしめていました。
当時使っていたバスは降りるときに料金を払うシステムだったのですが、バスに乗っていた最中車内が揺れたとき、私は不覚にもそのお金を落としてしまったのです!
お金はどこかに転がってしまい、しゃがんで座席の下を覗いても見つかりません。幼い私の頭の中は、恐怖と不安でいっぱいになりました。途方に暮れて頭を上げると、そこに美しい女性の顔がありました。その女性は温かく優しい声でこう言いました。
「お金、落としたの?」
「・・・はい」
「これ返さなくていいから使ってね」
彼女は私の手に小銭を握らせてくれ、にっこり微笑むと、そのまま停まった次のバス停で降りていきました。
・・・あっという間の出来事でした。私はきちんと御礼を伝えられたのかも覚えていません。
帰宅後、夢中で家族にその女性の話を伝えたことを憶えています。もしかしたら、その女性にとってみれば、困っている子どもに行なった当たり前の行為だったのかもしれません。
でも、私にはその女性が神々しい「女神」のように見え、いまだに、その方の“美しく温かい佇まい(たたずまい)”と“透き通るような声の響き”が光とともに記憶に鮮明に残っています。
家の笹竹の短冊にはこう書きました。
「おねえさんのようになれますように」
「美しい所作、声、心遣い…当たり前のことを当たり前にできることは素敵なこと」
「これからの未来をつくる子供たちが見たときに、目標にできるような、憧れられるような大人になりたい!」
この出来事が私の願いの原点となりました。
”原点=原理原則”に立ち返り、素直でかろやかな気持ち、内側から湧いてくる気持ちを大切にしたいと思う今日この頃です。
皆さまの原点は何でしょうか。
ユウキアユミワールドアカデミー
校長 由結あゆ美