二十四節気“夏至”~夏のひととき、タイムスリップしてみませんか~
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2022年6月21日から二十四節気『夏至』に入りました。
昼間の時間がもっとも長くなります。太陽の黄経は90度。
本日は夏の季語であり、これからの時期に活躍するアイテムの“今”と“昔”をご紹介いたします♪
夏の季語①【日傘】
最近では日傘も賛否両論。
「階段などで目に刺さりそうになって危ない」
「日傘をさしている日本人を不思議に思う」など。
しかし、日本の夏を彩る日傘を風流と見てみるのも一興です。また、日本にはもともと日傘がなくてはならない理由があったのです・・・!
*舞妓と日傘*
一日傘を差して「八朔(はっさく・旧暦1日)」の挨拶回りに出かける舞妓。8月1日の炎天下、京都祇園の舞妓や芸妓は絽の五つ紋に正装して師匠宅やお茶屋に出向きます。
*女性の間で流行した絵日傘*
徳川8代将軍吉宗の時代には、赤や青で花鳥や唐草模様を描いた絵日傘が女性たちの間で流行しました。その頃から女性が複雑な髷(まげ)を結い始め、それまで日除けに使われていた笠がかぶりにくくなったからなのだそうです。
*藍一色は儒学者とお医者様の印*
藍一色の日傘が儒学者や医者の間で使われたこともあります。
*男性も女性も愛用した日傘*
江戸時代、女性に限らず男性も、また、武士も町人も大っぴらに日傘を差しました。当時の男性は月代(さかやき)といって額から頭のてっぺんまで髪を剃っていたため、その部分を強烈な日差しにじりじり灼かれるのは武士といえどもたまったものではありません。熱射病のもとだったとも言われています。
しかし、幕府は華美になる一方の日傘ににらみをきかせ始めます。吉宗が将軍職を退くと、幕府は再三のお触れを出して日傘、特に男子の日傘を禁じました。日傘が再び夏の江戸の町を華やかに彩り始めるのは、幕末近くなって幕府の統制が緩んでからのことだったそうです。
夏の季語②【扇(おうぎ)】
数年前からハンディタイプの扇風機が流行していますが、最近では年齢を問わず、夏を快適に過ごす便利なアイテムとして広がっているようです。
しかし、ハンディファンの前身といえば、扇子でしょう。扇風機やクーラーがない時代に、涼を運んでくれる道具として活躍しました。
*日本で発明された扇*
扇は日本で発明されました。中国から渡来した団扇をもとに編み出された「折りたたみ式の団扇(うちわ)」でした。いかにも空間の節約にたけた日本人らしい発想と言えるのではないでしょうか。
遅くとも8世紀の半ば頃には、数枚の薄い檜(ひのき)の板の一方を閉じ、他方を糸で連ねて開閉できるようにした檜扇(ひおうぎ=宮中で用いられた木製の扇)が考案されたのだそうです。その後、骨に紙を張った紙扇が作られるようになります。
*紙や竹に精通していた日本人*
「こうもり」といえば今では洋雨傘のことですが、もとは紙扇(かみせん)を指す言葉だったのだとか。扇を開くと紙に止めた竹の骨が少しずつねじれながら広がっていきます。
日本で生まれた扇は、まず中国へ輸出されました。さらに中国を経て、15〜16世紀の大航海時代にヨーロッパに伝わりました。
夏の季語③【風鈴(ふうりん)】
「風鈴の音を聞いて涼しく感じる」・・・日本人ならば誰しも経験したことがあると思います。
脳の中で音を聞く場所(聴覚野)と涼しさを感じる場所(体性野)はまったく別ですが、風鈴の音を聞くことと風が吹いて涼しいという体験を何度もすることで、この二つが結びつくようになるそうです。
「風鈴が鳴る→風が吹いている→涼しい」という経験を重ねることで、実際にそう感じるようになるのだとか。
*風鈴の起源は仏堂の鐘*
風鈴の起源は風鐸(ふうたく=仏堂や仏塔の軒の四隅などにつるす青銅製の鐘形の鈴)なのだそうです。風鐸は古代中国で魔除けのために寺の堂塔の四隅に下げたもので、中にはやはり舌があり、風に揺れると音を立てます。
日本には仏教建築とともに中国から伝わりました。この風鐸が、涼気をもたらす風流の道具として住宅に取り入れられるのは、鎌倉時代のことでした。
まだまだご紹介しきれない夏のアイテム。
そっと袂(たもと)やバッグから出す人、使っている家を見ると、なんだかほっとして、懐かしい。そして、日本人らしさを思い出す。
古きよきものがまた新しい感覚となって、私たちの記憶に残り、次の時代に受け継がれていくのかもしれません。
徒然なる文章に最後までお付き合い頂き、有難うございます。
本日も素敵な夏の一日をお過ごしになりますように♬
ユウキアユミワールドアカデミー
クォンタムヴォイスアカデミー
校長 由結あゆ美